衣装ケース6箱を全捨てした


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衣装収納ボックスが我が家から無くなった。

服の他にも、前述のCDや、食料品のストックを保存するために、6ケース持っていた。

なきゃ困ると思っていたのに、なきゃないでどうにでもなるし、結果、困ることなど何もなかった。

なんで今まで必要と思っていたんだろう?と、狐につままれたような気持ちで一個づつ手放しているうちに、とうとうゼロになってしまった。

捨てマスターたちが口を揃える「物があるから収納が増えるのではなく、収納があるから物が増える」はガチだと実感した。

 

 

奇跡が起こった。捨て活がまたしても自分を、過去の自分が想像することすら想像できなかった未知の自分に変えてくれた。

収納ボックスを無くしてみたら、なんと、Tシャツをたたんでいる自分がいたのだ!


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今まで、頑なにTシャツは畳まなかった。どうせまた着るのに、いちいち畳む意味がどうしてもわからなかったからだ。

なので長い間、ベランダから取り込んで、ハンガーのまま床の間にかけた突っ張り棒にぶら下げていた。

衣服を置く部屋を変えてからは、ハンガーから外して、箱に突っ込んでおいた。

しかしこの度、突っ張り棒も大きい箱もなくなり、どうしようと思案した時、自然にそれらをたたんで箱に収めている自分がいて、そんな自分にびっくりした。

大昔に覚えたこんまり流のたたみかたで、ラタンケースにチンマリ整然と並んだ我がTシャツたち。今まで実用性以外興味がなかった我が衣服たちが、急に愛らしく感じられるようになった。 40年の人生で初めて味わった感情に、「ときめき」とはこれのことか!と思い当たった。

 

収納ケースも減ったが、Tシャツ自体も、古いやつを捨ててだいぶ枚数が少なくなっていたのも、今回の奇跡の大きな要因だ。

物が少なくなると、管理の手間が減る。そして減れば減るほど、家を自分の理想に近づけることも簡単になる。

 

前々から、家からプラスチック製品を無くしたかったのに、全然なくせなかった理由がついにわかった。

ものが多すぎたのだ。

わかってみれ、太字にする必要もないくらい当たり前の話なのだが、夢から覚めないと夢だと気付けないように、実際いらない物を捨てないと、この事には気づけない。捨て活を敢行した人が、周りの人にも捨て活を勧める理由は、ここにあると思われる。

 

 

MacBook Proを買った その2

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捨て活以降、気分に流されて、無意識で何かを買うことがなくなった。

自分の中に買い物の基準がいくつか出来上がり、それに沿う物事だけを買うようにしている。

その一つに「これを持つ事によって、今持ってる物をより減らすことができるか?」というのがある。

今回買ったMacBook Proはまさにそれ。現在、所有CDの取り込みが完了して、CDはガンガンメルカリに出品している。

 

ほとんど聞かれないまま、長年押し入れで眠っていた大量のCD。長い間プレッシャーを感じさせる、気がかりな存在だった。

「いつかちゃんと聴かねば」「それとも処分せねば」などの選択肢がことあるごとに脳裏に浮かぶのだが、どちらにしろ実際行動するのはめんどくさく、今まで見て見ぬフリをしてきたのである。

、、、、そう、長い間聴かずに放置してきたCDだ。パソコンに取り込みながらも「果たして取り込んだとしても、聴くのだろうか?」という疑問がないわけでもなかった。しかしそうでもしなければ、どうしても手放せなかった。CDは自分にとって、思い入れが強すぎる「野望ガラクタ」なのである。

一枚一枚供養するような気持ちでパソコンに取り込んだ。400枚くらいあるが、一枚700MBだとしてもSDDは1TB、全然余裕だ。

盤面に傷が多すぎて、正常に取り込めないCDも沢山あった。

皮肉なもので、何度も聴いた愛聴版ほどエラーが出るほど傷だらけで、買って一回しか聞いていないようなどうでもいいCDほど新品同様だ。昔から、モノを雑に扱う自分の性分と向き合う作業になった。捨て活マスター達の「ものと向き合うことは自分と向き合うこと」という言葉を思い出した。

 

CDは片っ端からメルカリ出品している。大容量データを軽く扱える現在、CDの存在理由なんてほぼないと個人的には思っているだが、出品したら思っていた以上に需要があった。今まで持っていたCDプレイヤーと古いノートパソコンも同時に売れたので、それと合わせてMacBook購入費は、楽々モトをとることができた。

 

MacBookを買ってCDを全部データ化」

実際に実行に移すまでにだいぶ時間がかかったが、いざやったら、いいことしかなかった。何も失うことなく、今まで以上に快適な住居空間とスマートで便利で高音質なオーディオ環境を手に入れることができた。

全部取り込み終えて、今まで手に入れたすべてのCDが、MacBook Proのでかいモニターに一覧された時には感動した。ブルートゥーススピーカーとエアーマックエクスプレス(1500円)によるオンライン化のおかげもあり、音楽再生のハードルもめちゃ下がった。次はそれらの機材的な話もしようと思う。

 


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MacBook Proを買った。その1

科学技術が行き着くところまで行き着いたこの時代、自分が何が欲しいかさえわかっていれば、驚くほど手軽にそれを叶えるテクノロジーを手に入れることができる。平たく言えば「中古で十分」ということだ。

 

MacBook Proを買った。用途はオーディオと、電子ピアノの音源をグレードアップ。

欲しいスペック条件を定めてずっとメルカリを張っていたのだが、ついにエンジェル出品者に出会えた。

十年型落ち、スピーカーが片方故障しているが、スペックは十二分かつ、想定よりだいぶ安く手に入った。

2.8 GHz クアッドコアIntel Core i7

SSD1TB

メモリ16GB

24000円也。

 

これに所有CDをガンガン取り込んで、Bluetoothやairmacexpress(これもだいぶ型落ちの製品だ。メルカリで1500円だった)でネットワークオーディオを形成。いやぁ、めちゃくちゃ便利!快適!十年前のテクノロジーに感動している。

 


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思いがけずブログ書くにも大活躍

 

不用品を捨てると、生活に遊びのスペースが生まれる

食料品は、家のストックがゼロになってから買い物へ行くようになった。

 

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それでも間に合うし、間に合わなくて、なければないでどうとでもなる。そして、このどうにかする工夫が、案外楽しかったりする。

先日も夕飯時、冷蔵庫に納豆くらいしかなく、どうしたものかとひと思案。庭に植えたままほったらかしの大量のネギがあることを思い出し、抜き、刻み、これでもかというくらい薬味にに乗せて食べた。さっきまで地べたに生えていたネギ、美味しくないはずがない。ネギ感が違う。まさにネギ!って味だ。果たして思いがけず大満足の夕飯になった。

どうしたものかと考えなければ、庭のネギは忘れたままだった。きっと放置されたまま食べるタイミングを失い、ネギ坊主になって固くなっておしまい、てなもんだったと思う。

ここで注目して欲しいのは、買い物へ行かない、という節約行為が、結果的に、より豊かな食生活につながっているという点だ。節約とは「いらない物を買わない」だけであって、ケチとか我慢とはむしろ逆の行為なのだ。

 

いらない物を手放すと、今あるものを無駄にせず使い切るようになる。

そして生活の中に、いつもと違うことをやってみようという、遊びが発生するスペースができる。そこから予想もしていなかったことが生まれるのが楽しい。


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行きつけの西堀公園M青果

 

捨て活で起こった生活の変化「買い物回数激減」

捨て活以降、スーパーへ行く回数が激減した。

家に食料品のストックがなくなってから、はじめてスーパーへ足を伸ばすようになった。今までは「やばい、にんじんあと2本しかない」てな感じで買い物に出かけていたが、やばいことなど、なにもなかったのである。

てか、なくなってからでも全然間に合う。そもそも、なきゃないで、別のもの食べればいい。なんなら腸を労るための断食の機会にしてもよし。食べるにしたって、なるべく直前に買った方が新鮮だ。

てな感じで、むしろいいことの方が数え切れない。

 

買い物の回数が減ると、当たり前のように支出も減る。その効果はにんじん代だけにとどまらない。いざスーパーへ行けば、にんじんだけ買って帰るということには、まずならないからだ。

買うものを決めてからスーパーへ行くようになったら、今まで見えなかった、スーパーの誘惑の多さというものに気づいた。

わき目も触れずにニンジンの棚まで直行しよう!と頭では思っていても、目は、意識に反してあちこちを泳いでしまう。(あなたも今度スーパーへ行ったら、目的物までよそ見しないでたどり着けるか試してみてほしい)

お惣菜の香り、半額のシール、新商品のキャンペーン、などなど、店内には誘惑に満ち満ちている。

考えればお店やメーカーは、いかにお客さんに商品を買ってもらうかを考えるプロ中のプロである。油断した素人が、その気のプロと戦って、はじめから勝ち目などあるはずがない。そう思い至った時、なるべくスーパーへ行くのはよそうと決めた。

 

ストレス解消のために買い物をしていた事にも改めて気付かされた。

くたくたになった仕事帰り、疲れているはずなのに、なんか知らんがスーパーに寄りたくなる。そして、食費は浪費ではない、と自分に言い訳して、食料品を買い込む。お金を発散することでストレスを発散しているのだ。

最近はそれがなくなった。仕事後のスーパー行きたい衝動はまだあるが、その衝動に引きずられず、穏やかな気持ちのまま家に直帰することができる。

これは節約意識が向上したのも理由だが、捨て活効果で、家が以前より安らげる空間になったのも大きい。早く家に帰りたい気持ちが、スーパーに寄りたい気持ちに勝るのである。捨て活は、どっちに転んでも浪費が減るようにできている。

 

ストレス解消のために買い物。その無限ループが止まり冷静になった今、そもそも、そんなストレスの原因になっている自分の働き方そのものに意識が向かわざるをえない。

お金を貯めるために働き、働いたストレスでそのお金が消えていく。この不毛な構図が見えると、果たして自分はなんのために働いているの?と考えずにはいられなくなる。


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温冷浴

温冷浴、続けている。

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設定した分数ごとにお知らせ音が鳴るアプリを利用して、一分おきに風呂に入っては出てを繰り返す。


https://play.google.com/store/apps/details?id=com.interval.timer.workout.tabata.hiit.free

まだまだ朝は寒いので、お湯に浸かる一分は大変短く、浴槽から上がる裸の一分は恐ろしく長く感じる。

裸の時間は、ヨーガの片脚を上げるアーサナを行い、寒さから意識をそらすという謎のルーチンが出来上がった。

https://www.noa-yoga.com/pose/19754/

 

お湯から出る瞬間が大変辛いのだが、感情は無視して、とにかくアラームに合わせて機械的に出入りするのがコツだと気付いた。

いくら外が寒くても「えいやっ〜!」と気合を入れて、決めた通りに風呂から出る。

寒さとお湯の誘惑に打ち克つこの瞬間、「俺は今!寒さに強くなった!」という具体的実感と共に、身体の奥からエネルギーが湧いてくるのを感じる。

そして上記過程で、決めたことを決めた通りに実行する「意志力」というものが鍛えられているのを感じる。温冷浴は、心身両面に直接アプローチする健康法だと思い至った。

 

寒いと言っても、何回か出入りしているうちに身体がポカポカしてくることは経験的にわかるようになったので、最近は、寒さに関係なく出入りできるようになってきた。そして切り上げるタイミングもわかってきた。何事も、新しいことを始めるコツは、できなくてもやる、毎日やる、できるまでやる、これに尽きる。

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