ズッキーニを見に来た。双葉が曲がっている。
発芽した葉っぱ系は、思ったより成長していなかったが、梅雨に入れば雨と温度でぐんぐん急成長すると思われる。
身体は全パーツが連動している。
ということは、どのパーツから働きかけても、最終的には全身に効果が及ぶ。
、、、と都合よく解釈し、体のリペアを開始した。
どこからはじめよう?
とりあえず近視回復を目標に、目と全身との繋がりを勉強しはじめた。
この本を読みはじめたら、書いてある内容がいちいち自分の体の状態と辻褄が合うので、やる気が出ざるをえない。
肩甲骨、腎臓、土踏まずなど、今まで意識しなかった部分に意識がいく。
それらに働きかけると、実際体のバランスが変わっていくのを実感できる。
効果が実感できるとさらにやる気が出る正のスパイラル。
それよりなにより、自分の体の実感を通して、自分を知っていくという作業自体が、楽しい。
体を使う学びは、わかった時に確信が伴う。何故なら、答えが自分の中から見つかるから。
この何かを知った事を確信した時の爽やかさは、ネットや本でいくら知識を学んでも、得ることはできない。これこそがお稽古事の醍醐味だ。
さて、目と全身の繋がりを学ぶうちに、肩甲骨の左側のコリに行き着いた。
行き着いてみたらなんのことはない、響きを最優先して声を出す時、いつも突っ張りを感じる場所だった。
発声法は一旦脇において、体のメンテナンスをはじめてみたが、実際はじめたら、思ったより早く発声法と繋がった。
で、何をしているかというと、その場所をせっせと蒸しタオルで温めている。遠回りを覚悟で体のメンテナンスをはじめたが、結局やることはシンプルだ。
発声法のための健康法なのか、健康法のための発声法なのか、手段と目的がわからなくなっている。
テクニックとは、難しい事をやる方法ではなく、同じ事をより簡単にやる方法の事だ。
とすると、1番コスパの高いテクニック上達方法は、楽器のメンテナンスということになる。
そこに思い至って以来、鳩山メソッドは、発声法を一旦脇に置き、楽器である体のリペアに重心を置くようになった。
鳩山メソッドを使うと、自分の体の歪みを認識できるようになる事はわかった。
しかし、歪みがわかっても、直し方がわからない。
というのも、体のパーツは、数えきれないほどの肉骨内臓すべてが相互に連動して働いている。
例えば肩こりの原因が目の疲労だったりするので、ギターのように、ネックに異常があればネックをいじればいい、というわけにはいかない。体は奥が深い。
しかし奥が深いものは往々にして敷居は低い。
すべて連動しているということは、逆に言えば、どこから働きかけても、最終的には根本原因に辿り着く、ということになる。
そう都合よく解釈して、とにかくわからないなりに、体のリペアをはじめることにした。
わからない事をはじめる際に大事なのは、わからなくてもやってみる事と、やり続ける事だ。
というもの、「わかる」は相対的なものなので、最初に「わからない」という経験をしなければ、わかりようがない。
だから、わからないけどはじめるというのは、理屈としても実際的にも正しい態度だ。
わかってからはじめようと思ったら、永遠にはじめられない。
もし最初からわかっているつもりでいたら、それは文字通り「わかったつもり」なだけで、その実「わかってないことがわかってない」だけだ。
わかってないことがわかってない以上、わかることは永遠にない。わからないことは恥ずかしいことではない。
過去画像と比べると、右足に陰影が見えてきた。効果を確認できると、やる気も出てくる。
扁平足改善のために、石で足裏ゴリゴリの他に、四股を踏みはじめた。四股は奥が深い。同じ四股を踏むでも、意識の置き所を変えるだけで、全然違う運動になる。
土踏まずに力がかかる事を意識して四股を踏む。効き目は明らかで、四股後の土踏まずに、運動したあとの張り感が残る。
日常でも気づいたら土踏ますを意識する。意識した途端に姿勢が変わる。
オートバイに乗っている時、思い出したように土踏まずを意識すると、お腹が収縮して内臓が上がり、胸が張り背筋がピンと伸びる。
20200511
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