2019年鳩山菜園基本方針「簡単な野菜しか作らない」

家庭菜園をはじめてわかったことがある。野菜を育てるのは、めんどくさい。

都会での生活に疲れ、戻ってきた山梨。夢にまでみた家庭菜園。「歩いているだけで心が癒されるような美しい畑」を理想に奮闘していたが、現実は程遠かった。

欲張って無計画にまきまくった多品種のタネは、密植しすぎてジャングルの様相。
その一方で、買っただけで満足してまかずじまいだった種多数。
畝からはみ出た野菜をまたぎながらでないと歩けない、ケチって狭くした畝間。
脇芽を放置して実らなかったミニトマト
育ったもののほとんど食べきれず、穂がぐんぐん成長したバジル。
収穫したきり畑に放置の落花生。
自然農のはずが、いつのまにかメシヒバ畑と化した一角。
放置されたままの肥料の袋やポリポット、錆びたシャベルに雨水のたまった一輪車
etc


市民農園などと違って人に見られないのをいいことに、盛大な散らかりっぷり。
なんのことはない、片付いたためしのない俺の部屋と全く同じ状態だと気付いた。
家庭菜園という意識高い系趣味に引っ張られて自分の性格も変わるかと期待したが、全くそんなことはなかった。

「家庭菜園やってます」なんていうといかにも丁寧な暮らし風に聞こえるが、まるで雑に丁寧な暮らしを送っているような、何かが確実にずれている現状。「俺は何をしたかったんだっけ?」と、初心を顧みずにはいられなくなった。




2019年は、簡単に作れる品種だけに作付けを絞ることにした。
去年より頑張って野良仕事に励もう、とか思わないところが我ながら偉い。

ただただ「美味しくてエネルギーに満ちた野菜を自給したい」とはじめた菜園だったが、気づけば「家庭菜園やるなら多品種を作らねば」とか、「珍しい野菜や花形野菜にもチャレンジしたいな」とか、人並みなことを考えていた。人並みなことを考えるのはもう止めた。プライドは断捨離した。

料理にも言えるが、難易度と美味しさが比例しないのが野菜の魅力だ。しかも荒地で逞しく育つような野菜の方が、往々にして栄養価も高かったりする。これを「自然の恵み」と呼ぶのだと思う。恵んでくれてるんだから、素直に受け取りたい。


というわけで2019年我が菜園の方針は

「自然の恵みを最大限に享受する」

だ。

カッコつけて言ってみたが、平たく言えば

「手間のかからない野菜しか作らない」

ということになる。一気にカッコ悪くなるね。


野菜栽培の奥の深さなんてまだまだ全然わかってないと思うが、敷居の低さは、2年でも十分体験できた。
栽培難易度と美味しさは比例しない。今年は、そんな野菜だけを、淡々と、作っていこうと思う。次回記事で具体的な品目を紹介していく。