2019年鳩山菜園作付け計画「雑穀をたくさん栽培する」


前回記事で、野菜は美味しさと栽培難易度が比例しない上に、世話なく育つような逞しい野菜ほど往々にして栄養価も高い。そしてそれを「自然の恵み」と呼ぶ、と書いた。

その自然の恵みの象徴が雑穀だ。
雑穀は、美味しくて、栄養価抜群で、よく育つ。



まず言いたいのだが、雑穀はうまい。「つぶつぶ」が教えてくれた。
ご飯に混ぜて炊くだけでも美味しいけど、つぶつぶの雑穀料理術はすごい。
肉から魚からチョコレートまで、和洋中華にエスニック、なんでも作れる。
しかも、見立てた本家に劣らぬコクや香りなどを持っていながら、もたれなかったり、食べたいだけ食べても何故か太らなかったり、心身の調子が安定したり。代理品というより、むしろこっちの方がいい!というレベル。


何度も書きたい。雑穀は美味しいのである。

つぶつぶ創始者の大谷ゆみこさんが著書で、はじめて雑穀と出会った時、美味しさに衝撃を受けたと同時に、食べたこともないのに「雑穀はまずい、貧しい」というイメージをなぜか持っていた自分に気づいてビックリした、というような事を書いていたが、30年経った今も状況は同じかもしれない。

俺もはじめて食べた時、美味しさにびっくりしたと同時に、何故か負の先入観を持っていた自分に気づいた。「鳥の餌」とか「飢饉の時の貧しい農民の代用食」とか。

気づいていないこと自体に気づいていない先入観。雑穀の他にも、そーゆー自分の世界を狭くする先入観を、自分はあとどれくらい抱え込んでいるのだろうか。




雑穀は美味しい上に、エネルギーもすごい。

昭和40年代以前、山間に暮らす人々は、今より少ない食事量で、恐ろしいほどの重労働をこなしていたらしい。そのパワーの源が雑穀と言われている。今風に言えばスーパーフードなのである。現によくスーパーフードとか呼ばれているキヌアも、平たく言えば雑穀だ。

そういえば中村天風さんが著書で、インドで修行時代、1日一食少量の雑穀だけの粗末な食事で、よく身体がもった、みたいなことを書いていた記憶がある。具体的に何を食べていたかは謎だけど、ひょっとしたら雑穀だったからこそ身体がもったのかも?なんて想像すると面白い。

そんな古より日本人を支えた雑穀のエネルギーをもらって、肉体労働するわけでもなく、修行するわけでもなく、現代を遊びまくる!という都合のいいことを考えている。





縄文時代から、田んぼができないような山間の僻地でも作られ続けてきた雑穀、たくましさは歴史が証明している。
だいたいメシヒバとかエノコログサネコジャラシ)とか、雑草と呼ばれてる人たちの親戚だからね。育たないはずがないよね。




という感じで、簡単に作れて、美味しくて、栄養抜群。さらに保存もきく。おまけに買うと高い(手間と価値を考えれば本当は高くはないのだが、、、、)
自分で作らない理由がないって感じだ。

ついでに言えば、山梨の、ドンキとかがある国道沿いの、ネットカフェのすぐ裏で、人知れず雑穀が栽培されている光景は、想像するとなかなか愉快だ。
人知れずどころか、鳥たちすら、まさかこんなところに雑穀がはえているとは思いもよらなかったらしく、去年は防鳥ネットを張ることなしに収穫までたどり着いた。(雑穀栽培の一番の難所は鳥害と言われている)


さて、雑穀といっても色々種類がある。どの品種に挑戦するかは、長くなったので次に書こうと思う。