肩甲骨を開発する

前回の体の細分化の記事を踏まえれば、肩甲骨が細分化されて自由に動くことが、どれだけ大事かがわかるはずだ。

 

一方向にしか動かない肘が固まっただけでどれだけ不自由かを考えれば、さまざまな方向へ自在に微細に動かすことができる肩甲骨が動かないことが、どれだけ腕や手の動きを制限しているかが想像できると思う。

 

逆に言えば、肩甲骨が自在に動けば、どれだけ腕や手を自在に動かせられるようになるか、ということだ。伸び代がすごい。

 

例えばギターを弾く時、指は様々な動きを要求されるが、そもそも指は一方向にしか曲がらない。一方向にしか曲がらない指に無理な動きを要求すれば、指は壊れる。

 

なので指のかわりに肩甲骨を動かす。肩甲骨は、指には不可能な様々な角度の動きを、難なくこなす。

 

肩甲骨を動かすことで常に腕を演奏のベストポジションに保ち続ければ、指はいつでも楽ちんに自分の仕事ができる。

 

つまり指の仕事は、目の前にある弦を押さえることと離すことだけで、弦から弦への移動は肩甲骨の仕事なのだ。

 

ギターは指で弾いているように見えるが、仕事の重要度で言えば、ギターは肩甲骨で弾く、と言ってもいい。

 

 

指だけでギターを弾くのを見ると、バタバタしているのが目に見えて、とても大変そうな印象を受ける。

 

逆に肩甲骨の動きは、体の奥にあるので外からは見えない。そして、体の根本にあるので、少しの動きで、大きな効果を得ることができる。

 

なので、肩甲骨でギターを弾くと、難しい事を弾いているはずなのに、とても簡単に弾いているように見える。

 

「あの人なんであんなにギター上手いんだろう?」って人は、肩甲骨でギターを弾いている可能性がある。

 

大袈裟な話、天才と凡才の違いは、才能云々ではなく、肩甲骨が自由かどうかにあるのではなかろうか。

 

才能と言われたら諦めるしかないが、肩甲骨なら俺も持っている。開発しない手はないと思うのだ。

 

 

 

「肩甲骨を開発する」なんていう概念は、どっちかというと野球とか陸上とかの、体育会系の人たちの興味の対象だったように思う。

 

しかし文化系のミュージシャンこそ、肩甲骨を開発すべきだ。その重要度はスポーツする人たちと全く変わらない。

 

そういう事に興味のない人が多い文化系の世界だからこそ、そこに力を入れば、他の人を出し抜ける可能性もある。