今年も折り返し

春から落ち込み続きの毎日だった。

 

人間の1番辛い状態って、わかってないことがわかってない状態だと思う。

 

それ故に、良かれと思ってやったことで人を傷つけたり、幸せになりたいのに不幸まっしぐらに突き進んだりするからだ。

 

 

自分が酔ってることに気づいてない酔っ払いと同じで、自分ではわかっているつもりでいるのが問題だ。

 

酔うこと自体に問題はない。酔ってることに気づかない人が、人身事故を起こして、自分も他人も傷つける。

 

 

ではどうやったら自分が酔ってることに気付けるのか?

 

 

事故を起こすしかない!

 

 

と思い至り、「今年は事故る」を新年の抱負にした2019年。

 

その意味では順調に進んでいると言えるが、やってみたら確かにしんどい。

 

 

 

 

世間で言われている「夢を追う」のやり方がわからない。

 

自分のこれまでの生き方を顧みると、どん底に落ちてニッチもサッチも行かなくなるまで、決して生活を変えられない。

行動のモチベーションはいつでも「もっとマシになりたい」だ。

 

そんな夢のない自分から逆算すると、夢追い人って、困ってもないのに「もっと素敵になりたい」というモチベーションで行動できる、いわば病気でもないのに断食できちゃうような人だと思っていた。

 

 

 

どん底に落ちるのは苦しい。俺もそーゆーキラキラした夢追い人になりたい。そう思っていたが、最近また考えが変わってきた。

 

ひょっとして、人間誰しも、どん底まで落ちないと、生き方を変えることなんてできないのではなかろうか!?

 

じゃあ夢を追える人とは何者なのか?

単に、どん底に落ちて傷つくことを恐れない人のことではないか、と思い至った。

 

 

恐れないどころか、むしろ上昇するために積極的にどん底に落ちるリスクをとって行動できる人。

 

多分その行動を支えているのは、心の奥にある「俺はどん底からでも立ち上がれる」という確信。そしてその確信のことを「自己肯定感」と呼ぶのではなかろうか。

 

素晴らしい自分を肯定できるのは当たり前の話で、自己肯定感って、どん底の、ダメな自分を、どれだけ肯定できるかだと思う。