雑穀

荒地でも育つような逞しい野菜の方が滋味があると書いたが、その象徴が雑穀だ。雑穀は実に美味しい。写真はタカキビ。あっけなく実った。菜園一年生の毎度の感想で、こんな簡単ならもっとちゃんとまいときゃよかった。鳥害防止にネットを張るところだが、小規模なので百均の台所用不織布袋を被せた。収穫間近。

他にもシコクビエが育っている。雑草並みに強健で調整(米でいう籾とったり精米したり)の手間いらず、という2点を買って播種したものの、実のところ食べたことどころか、見たことすらない。取り寄せた緑肥用の種はインド産。かの地では離乳食として食べられている(た?)らしい。果たしてどんな味がすることやら、それ以前に収穫までたどり着けるか。


逞しくかつ美味しい雑穀、では何故マイナーなのかといえば、ひとえにめんどくさいからだと思う。背の高いタカキビ、出穂がバラつくシコクビエ等、手で収穫せざるをえないことになっている。そして調整の手間。早い話が金にならない。

しかし、経済活動無視、かつ、どちらにしろ手作業の家庭菜園には関係ない話、作らない理由がないって感じだ。

一粒の種が、その何十倍もたわわに実るところまで見守ったつぶつぶ達、その有り難さを実感すると、これまで高いと感じていた雑穀の市価にも納得できるようになった。と同時に、日本のお米の生産性の高さにも、限りない感謝がわいてくるのだ。コーヒー一杯の代金で玄米1キロ買える豊かさに目を向けられるようになると、かなり幸せな気持ちになれる。この国の環境、伝統、文化、技術、受け継がれてきたそれらのものに、直接、命を支えてもらっているという実感が湧くようになった。