実家に帰ろうと思った出来事

東京に住んでいた頃は「実家に帰る」という選択肢は、何故か、考えたことすらなかった。今にして思えば、親との間にわだかまりを感じていたからだと思う。父が嫌いだった。大好きな母を苦しめる人、のように、当時は、見えた。



東京に住んでいた頃、頭の中で、モノゴトをゴチャゴチャ考え過ぎてしまう自分の性分が、ほとほとイヤになったことがある。

考えるだけだけならまだしも、頭の中で、それを他人に偉そうに教えている自分が居て、そんな、脳内で他人にマウントを取りに行く自分が「何様?」って感じで、嫌いだった。
(今にして思えば、色々考える性分の人間が、こんな無計画な人生を歩むはずはないのだが。)


そんな自己嫌悪でどうにもならなくなって、山にこもって瞑想した事がある。

果たして瞑想の末、思考が止まった。その刹那、「おやっ、そもそもこの性分や、人に教えるという行為自体には、良いも悪いもないぞ」という理解が不意に降りてきた。
問題なんてはじめからなくて、それを問題だと思っている自分が唯一の問題だったことに気づいた。

と、同時に、自分の名前(本名)には「哲」という、それこそ「物事の理を追求する」的な意味の一文字が入っていることに気づいた。30年以上この名前で生きてきたが、その時はじめてそのことに気づいた。何故か、「あ、俺はこのままでいいんだ」と思えた。

それに続いて思い出したのは、「その名前をつけてくれたのは父だった」という話だった。
不思議だけど、その瞬間に、父に対する長年のわだかまりが一気に溶けた。
30秒くらいの間の出来事である。




その後しばらくして、実家に帰ることにした。
当時、もっと空気も水もきれいな環境で、音を出せる広い家で野菜を育てながら暮らしたい、と夢見ていたのだが、「あれ、実家でいいじゃん」と気付いたのだ。気づいてみれば、今までどうして気づかなかったのか不思議なくらいだし、その時すでに東京に住み続ける理由が1つもなかった。


ちなみに実家に帰って、子供の頃より、もうちょっとフラットな目で両親を見ていると、あんなに嫌いだった父親の言動に対して「そりゃそうだよね、わかるわ」と感じる事が沢山あり、逆に、あんなに好きだった母の言動に「いやいや、あり得ないでしょ!?」とあきれること多数だった。そして、両親はアレで仲良くやっている、という理解に至った。