願いは叶う説

松本に遊びに来る際の定宿にしていたゲストハウスの、毎週恒例持ち寄り夕食会に参加した。去年あたりから、いつか参加したいなーと思っていた。まさか徒歩3分の場所に住む事になるとは、9月までは想像すらできなかった。

そこで畑やってる人がいたので、借りるアテを訊ねると「年に一度市民農園の応募がかかる。市の広報をチェックすべし」との由。帰宅後、前日ポスティングされていた広報に目を通したら、まさに今のタイミングで募集していた。

他にも「弾き語りを習いたい」と言っている人がいた。まさに「弾き語りを誰かに教えてみたい」と思っていたところなので、間の良さにびっくりした。よかったら教えますと声をかけた。



体験的に、願いは叶うというのは本当だと思う。というか、願わないと、叶った事に気づかない。
山梨に帰った時も、理想の住環境が全て揃っていた。菜園はできたし、音出し放題。東京で毎日通っていたスーパーとカラオケは、共に徒歩1分圏内にあった。次の職場は甲州弁の溢れる場所がいい、と願っていたら、その通りになった。


願いは叶う、のだとしたら、「甲州弁の溢れる職場」とかじゃなくて、もっとでっかいことを願えばよさそうなものだが、不思議と身の丈以上の願いはできない。何故か自分で制限してしまう。この謎の自主規制はどこからきているのかに、現在とても興味がある。