玄米の豆餅風

玄米に、すり胡麻と、正月の豆餅作りで残ったあおさをかけてみたら、ほぼ豆餅の味がした。たっぷりまぶしたゴマのコクが、くるみの不在を十分カバーしている。ゼロ活力鍋によるモチモチな炊きあがりも食感を豆餅に寄せているが、噛むほどに滲みでる玄米の滋味は、豆餅に勝るくらいだ。
豆餅作りは大失敗しただけに(もち米はじっくり浸水させてから蒸すことを学んだ)、思わぬ発見の嬉しさもひとしお。これからはいつでも手軽かつ本格的に豆餅の香りとコクを楽しめる。


胃下垂の不快が体感としてわかるようになり、少量で満足できる食事を探している。今まで続かなかった玄米食だが、やはり必要に駆られると、続けようと思わないでも続く。どれだけ有益と思える情報も、実践し続けられるかどうかは、ひとえに必要性にかかっているように思う今日この頃だ。
どうも自分を顧みると、どん底まで落ちて、にっちもさっちも行かなくならないと必要性を感じないみたい。圧倒的なマイナスから這出るためにしか積極性を使えないというのもなんだか情けない話で、逆に圧倒的なプラスへ向かう積極性を引き出してくれるようなモチベーションはないのだろうかと想像した時、それが世にいう「夢」というやつのことかもしれない、と思い至った。