わかるはわからないで浮き彫りになったものでしかない
テクニックとは、難しい事をやる方法ではなく、同じ事をより簡単にやる方法の事だ。
とすると、1番コスパの高いテクニック上達方法は、楽器のメンテナンスということになる。
そこに思い至って以来、鳩山メソッドは、発声法を一旦脇に置き、楽器である体のリペアに重心を置くようになった。
鳩山メソッドを使うと、自分の体の歪みを認識できるようになる事はわかった。
しかし、歪みがわかっても、直し方がわからない。
というのも、体のパーツは、数えきれないほどの肉骨内臓すべてが相互に連動して働いている。
例えば肩こりの原因が目の疲労だったりするので、ギターのように、ネックに異常があればネックをいじればいい、というわけにはいかない。体は奥が深い。
しかし奥が深いものは往々にして敷居は低い。
すべて連動しているということは、逆に言えば、どこから働きかけても、最終的には根本原因に辿り着く、ということになる。
そう都合よく解釈して、とにかくわからないなりに、体のリペアをはじめることにした。
わからない事をはじめる際に大事なのは、わからなくてもやってみる事と、やり続ける事だ。
というもの、「わかる」は相対的なものなので、最初に「わからない」という経験をしなければ、わかりようがない。
だから、わからないけどはじめるというのは、理屈としても実際的にも正しい態度だ。
わかってからはじめようと思ったら、永遠にはじめられない。
もし最初からわかっているつもりでいたら、それは文字通り「わかったつもり」なだけで、その実「わかってないことがわかってない」だけだ。
わかってないことがわかってない以上、わかることは永遠にない。わからないことは恥ずかしいことではない。