食べ放題で臨死体験をした話

東京に住んでいた二十歳の頃、二日と空けず食べ放題に通っていた。その頃、食べ過ぎて臨死体験をしたことがある。

 

それは有楽町のリプトンコーナーで起こった。ランチで1000円台でケーキも食べ放題という人気店だ。

 

全員狙いはケーキで、補充のアナウンスと同時に、全お客さんが、池の鯉のようにビュッフェ台に殺到して、ケーキは一瞬で消えてゆく。

過酷な現場だが、それだけに闘争本能のスイッチが入りアドレナリンドバドバ、テンションが上がる。

 

その日は席の位置に恵まれたこともあり、全種類のケーキを取りこぼしなく堪能できて、大満足だった。

 

同行者と「もう水も入らないねー」なんて話をしながら、帰ろうと席を立ったのと、ケーキ補充アナウンスが同時だった。

 

再びケーキに集まる群衆を見た瞬間、条件反射で闘争スイッチが入り、気づけばケーキコーナーに突進している自分がいた。

 

新たな数種類のケーキと共に我にかえった時は、もう手遅れだった。

食べ放題で食べ残すことはできない。謎に残っていた理性で、何とかケーキをお腹に納めた。

 

記憶があるのはそこまでだ。

あとは同行者から聞いた話なのだが、店を出て早々「もう歩けない」と連れ込まれた談話室、テーブルに突っ伏したまま、10分ほど微動だにしなかったらしい。

 

当時、10分歩いてでも50円安いベローチェを選ぶ俺が、なんの躊躇もなく談話室に入店する辺りが、事態の深刻さを物語っている。

 

再び意識が戻ったときの「ここはどこ?」という感覚と、緑茶が美味しかったことを今でも覚えている。なお、この話にオチはない。

 

この臨死体験以降、生活態度を悔い改めるどころか、ラーメン二郎に出会い、さらなる胃下垂街道を邁進することになる。

カレーバイキング


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時々ナンが食べたくなる。

近所にナイスなランチカレーバイキングを見つけた。バター、ゴマ、チーズにチーズハニーと、数種類のナンが自由におかわりできる。俺はチーズナン一択。甘い生地とチーズのこってりがよく合う。

 

ナンは焼きたてを席までサーブしてくれる。俺くらいになると、ナン待ちの手持ちぶさたで冷めたフライドポテトをつまんだり、義理でサラダを食べたりしない。テーブルでナンが届くのをじっと待つ。そして焼きたてのナンと、四種類の中の本命のカレー一種をひたすら味わう。

 

食べ放題で、敢えて、本当に食べたいものしか食べない。逆に贅沢を感じるし、案外腹八分目で満足を感じて、店を出ることができることを発見した。食べ放題に勝ったような気がして気分がいい。

体で考える

今まで、いい感じに力まず声が出せる時と、喉に引っかかって不快な時があったんだけど、その違いは、アゴが力んでいるか否かだとわかった。


今まで入れていたアゴの力を抜いたまま、「響き呼吸快感」の三位一体を成立させる声を出すには、どうすればいいのか。

問いさえ立てば、答えは体の中から自ずと出てくる。

今回の場合、うなじの力を使って内側から口を開ければ、アゴは脱力したまま口を開けることができることがわかった。
と同時に、今までは口を開けるためにアゴに力が入っていたんだなーとわかった。




人間の形は全員違う。なので発声法の答えも全員違う。しゃくれた人とアゴのない人に同じアドバイスはできない。


鳩山メソッドは答えを導き出すための数式だ。

数式の答えは「響き呼吸快感」の三位一体。

そこに今回なら「アゴに力を入れない」という条件を入力する。

すると、発声法の答えは、自ずと導き出される。




声を出すって感覚的な行為だけど、ボイトレの実際は大変論理的だ。

俺は「体で考える」と呼んでいる。

体で考えて出した答えには、頭で考えた答えとは違い、確信が伴う。

何故ならそれは自分の中から出てきたもので、間違いようのない体感が伴うからだ。
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胃上げ唱法

下垂した胃による体の歪みが、発声の支障になっていることに気付いた。

どうやったら胃下垂を治せるだろうか。とりあえず、胃をあげながら歌う事にした。

 

実際、呼吸と共に、左の内蔵を肋骨の中に押し上げて声を出すと、力まず声が響く。胃あげ唱法だ。多分、今の、俺にしか役に立たないハウツー。

歌う体は歌って作る。オレ流発声法である。

しばらく続けてみる事にする。

 

 

 

喉に力をいれないで歌う練習


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喉に力を入れないで、うなじの力で間接的に声帯を引っ張って声を出す。レントゲンで確認したわけじゃないが、そういう理屈をつけてると、自分の体感に説明がつく。

ぶら下がり健康法

響くことを最優先にして姿勢をとると、自分の体の歪みが可視化される。

どうも俺の背骨は右に曲がっているようだ。
見たわけではないので実際はわからないけど、実感として言い切れる。
「中心はもっと左側だよ」と背骨に言い聞かせながらヨガのアーサナ行うと、体の可動域が全然違ってくる。
声の出も違う。口が楽に開けるから高い声が出やすい。

意識して背骨を中心に通すと、左側の内臓がモゴモゴ動き出す。多分、胃だと思う。長年の過食で膨張した胃も、背骨の歪みの一因と睨んでいる。

今年は、背骨が中心を通っているのが標準状態にしたい。



そんな狙いもあってはじめた「ぶら下がり健康法」の効果が半端ない。

すべての人に平等に働く重力が、その人の歪んだところを伸ばしてくると思われる。

俺の場合、ぶら下がって力を抜くと、縮んでいた左胸がグググググーーっと伸ばされる。重力による整体って感じ。

30秒くらいで、別人のように体と気分が変わる。エネルギーチャージみたいな気持ちで行っている。


意識して歩くと、ぶら下がれる棒って、案外見つかる。滑り止めのゴム手袋があればなおいい。

簡単さと効果の反比例が凄いので、一度試してみて欲しい。

アゴに力が入っている事に気づいた

うなじで声帯を引っ張る発声を、うまくできる時とできない時があった。

うまくできると、楽々響く声を出せる。できないと喉に引っかかりを感じる。

その違いは何だろうなー?と思いながら声を出していたが、ふと、アゴが力んでいるか否かだと気づいた。
アゴをフワッとさせながら声を出すと、うまくいく。


ボイトレって、何かを身につけるというより、無意識に身につけてしまっている何かを手放す作業がほとんどだと思う。

だから鳩山メソッド的には、ボイトレは誰にでもできると思っている。

誰もが歌の才能を持っているかどうかは謎だが、余計な力みは、誰もが持っているはずだから。

ただ手放せばいいだけ。と言いつつそれが一番難しい。しかしそれが楽しい。