親の因果

安曇野へ遊びに行った。
ずっと行きたかった素敵なカフェでコーヒーを飲みつつ、甘い茶菓子に手を伸ばす瞬間、ちょっと躊躇した。というのもこの後美味しいスープカレーを食べに行く予定だったので、今甘いお菓子を食べたらお腹が膨れて、カレーが楽しめなくなるのでは、という思いがよぎったのだ。

よぎるのはいいのだが、その思いに、モヤモヤした罪悪感めいた、嫌な気分がついて回るのが納得できなかった。

最高の時間を過ごすためにはるばる安曇野までやって来て、幸せになるため以外にあまり存在理由の考えられない甘いお菓子を手にして、わざわざ嫌な気分になるって、なんでやねん!と心の底から思った。

と同時に、これ完全に親の教育だ、と気付いた。つい先日、家族揃ってご飯を食べた時、両親や兄夫婦が、ご飯を食べる前にお菓子に手を伸ばす甥っ子に「ご飯食べなきゃ甘いものやらんぞ!」と「教育」しているのを目撃したのを思い出したのだ。(ちなみに、ご飯とお菓子を一緒に食卓に並べたのは両親たちである)

嫌な気分の原因がわかった瞬間に罪悪感は消えた。そもそも食前に甘いものを食べると、どれだけ食事の楽しみが減るのか、試した事がないことに思い至った。「まずくなってもいいし、そうだとしたら、どれだけまずくなるのか試してみよう!」と、心が切り替わった瞬間、今、目の前のお菓子を食べることを選べる自由に、とてつもない幸せを感じる自分がいた。 生まれて初めて自分の選択で食べたお菓子は、最高に美味しかった。ちなみにその後のスープカレーも最高だった。


実家に帰って以来、両親の生活や、両親や兄夫婦が甥っ子たちを「教育」している様子を目にする事が、今の自分が何でできているのか知るのに、とても役に立っている。ひょっとしたら、それを見るため実家に帰ってきたのかもしれないくらいに思う。