家メシが充実して出不精になった

松本へ遊びにきた。花月の喫茶店でkura(世界で唯一の、信州情報月刊誌)を読み、パンセ小松でじゃがいもパンを食べ(フランスパンの中にじゃがいもが丸ごと入っている)、松本民芸家具で家具や器を眺めて、jaの直売所でもちきびを買った時点で、早くもやりたいことが特にないことに気づき、午前中に帰路についた。松本へ通い過ぎたあまり、完全に石和や甲府を歩いているのと変わらない、普段の場所になったのを実感した。ただ遊びに来れば楽しかったのだが、ここにきて松本との関係が、次の段階に突入したようだ。



最近、特に用もないのに外出するのが億劫になっている。その要因の一つに、家で食べるご飯の内容が充実した、というのがある。
美味しいお米と雑穀入りの炊きたてご飯、さっきまで地べたに生えていた野菜、それ自体舐めても美味しい海の塩、飲めるくらい美味しい菜種油(もたれない)、信頼できる味噌。素材の味だけ頼りに勝負しても、そこら辺の飯屋よりよほどうまい。パンも、ホームベーカリーを手に入れて以来、家パンで満足できるようになってしまった。大好きだった甘いものも、毎日甘酒食べていたら、砂糖の甘さは、全然欲しくなくなった。
低コストで、安定して美味しく提供する食べ物屋さんの技やノウハウは本当に凄いけど、それを利用するメリットを、自炊のメリットが完全に超えた感がある。

そんななので、以前は心躍らせた外食や買い食いの楽しみがなくなり、それどころか下手すると、旅先歩いていても、早く家帰って飯食いたいなー、とか、妙な里心がついてしまうのだ。






以前は、例えば東京へ行く用事が一つあるなら、せっかく上京するのだからと、色々別の用事も見つけて出かけたものだ。
しかし今は、一つ用事があるなら、その一つの用事だけのために出かけて、それだけ済まして帰ってくる。
なんかもったいないようだけど、やってみたらだいぶ楽チンだし、何より気分がいいことに気づいた。と同時に、以前の、なるべく用事を詰め込もうとする態度は、一言で言えば貧乏性だと思い至った。