鳩山メソッドとは⑤「歌う主語の交代」

「自分で自分に発声法を教える」と言われたら、こんな疑問が生まれるかもしれない。


「自分が自分に教えたところで、果たして今の自分を超えた声を出せるようになるのだろうか?」


答えはずばり、なる。


何故なら、厳密に言えば「響き」「気持ちよさ」「呼吸」は、自分ではないからだ。


一つづつ説明する。




まず「響き」は、自分の主観と関係なく、計測可能な形で客観的に存在している。



次に「気持ちよさ」も、よく考えると自分の意思とは関係なく発生する。


気持ちよくなる行動をとるところまでは自分の意思で選択できる。


しかしその行動の結果は、自分の意思で選ぶことはできない。


いくら「絶対に辛く感じるぞ」と強く決意しても、砂糖を舐めれば、甘い。




最後に「呼吸」だが、確かに呼吸は自分の意思でもできる。


しかし普段意識して呼吸しているだろうか?意識していない時間の方が圧倒的に多いはずだ。


それどころか、意識不明になってさえも、死ぬまで自動的に続くのが呼吸だ。


果たしてそれを「自分」と呼べるだろうか?けっこうグレーだと思う。





といった次第で、鳩山メソッド三本柱は、自分の中にあるように感じられるけど、厳密に言えば「自分」ではない。


ではなんなのか?強いて言うなら自然現象だ。


つまり鳩山メソッドとは、歌う主体を「自分」から「自然現象」にチェンジする発声法と言える。





「私」が歌う、ではなく、「響き」が歌う。


響き「で」歌う、でもなく、響き「が」歌う。


歌い方ではなく、歌う主語自体を変える。だから今の自分を超える声が出せるようになる。



実際、自分の都合ではなく、「呼吸」「響き」「気持ちよさ」の三つの都合を最優先にして声を出し続けていると、ある瞬間、今までの自分には想像もつかなかったような声の出し方が、突然できている自分に気づく瞬間がある。


この瞬間がボイトレのの醍醐味だ。