「ワキをしめる」「ワキが甘い」

ヨガをはじめたらギターがうまくなった。

弾いてないのに、明らかにうまくなってる。原因はヨガしか考えられない。

実際、ヨガとギターの直接的な繋がりを具体的に実感している。

 

例えばダウンドッグの際、ワキを外側に向けるようにして腕をねじって、肩甲骨を身体の上外にスライドさせる感覚は、そのままギターのピッキングに繋がる。

 

その感覚を個人的に「ワキをしめる」と呼んでいるが、ワキをしめると、胴体〜腕〜手が繫がる。すると、胴体の力で弦を弾けるようになる。

 

弦を弾くという重労働から解放されて余裕のできた腕と手は、強弱や緩急を出したりといった繊細な表現活動に集中できる。

 

 

カッティングが上手にできない人は「ワキをしめる」と意識するだけでも、ちょっとは上達するのではなかろうか。

というか、この感覚がなければカッティングはできない、とすら今は思う。

ワキがしまってないと、腕に遊びができて、リズムに間に合わない。腕や手も疲れる。

 

 

「ワキをしめる」は身体操作なので、応用範囲はギターに限らない。最近は、ワキのしまってないドラマーの音は、もたついて聞いてられなくなった。自分ではドラム叩いたこともないのに、不思議とそう感じるのが面白い。

 

 

ワキを締めようと意識しても、慣れてないと、一緒に肩もあがってしまう。そこを、肩は上がらず、肩甲骨だけがいい感じにスライドするような体を作るのが、練習のしどころだ。これが師匠の言うところの「身体の細分化」だと思う。

 

 

 

「ワキをしめる」に限らず、何かを行う時、最初に鍵となる特定の感覚を持っているかどうかで、結果に雲泥の差が出る。

 

感覚を持っている人はその感覚を使えば使うほど更に磨かれる一方、そんな感覚があることさえ知らない人は、できる人がやっている事を、できる人とは違う感覚でやろうとして、やればやるほどへんてこな事になっていく。

 

かくしてセンスのある人とない人の差は、加速度的に広がっていく。これが世間の言う「凡人と天才」の差なのだろう。富めるものはさらに富む。

 

 

結局一番大事なのは「センスの有無」ということになる。身もふたもないような話だが、ヨガをやっていると、センスは後天的にも身につけることができるという手応えが、だんだん強まっていく。凡人にとって、こんな希望はない。