音程を主語にして歌う

音痴に気づいた。音痴を修正しよう。どうやって?

「できる」は「できない」で浮き彫りになったものでしかない。ピアノやギターと一緒に声を出して、自分は一体、どう音痴なのか見定めることにした。

 

長い間楽器なし、手ぶらで声を出し続けてきたせいか、音階がグチャグチャになっていた。例えばドレミと歌うと、ミの音がだいぶ低いことに気づいた。ファくらいの気持ちで声を出すと、ちょうどミになるくらいの認識のズレがあってびっくりした。

 

意識してミを高く歌い、ドレミのピッチが整うと、ドレミというメロディに、ドレミというメロディ特有の情感が浮かび上がってきて感動した。これぞ音楽の原初的な感動ではなかろうか。こんな初歩の初歩で感動できるのが独学の楽しさと悲しさだ。

 

子供の頃はもっと音程がしっかり認識できていた記憶がある。多分長い間アカペラで声を出し続けていたのと、ピッチの悪い口笛を吹くのが癖になっていたのが、音程をグズグズにしてしまったように思う。とりあえず口笛吹くのは禁止した。

 

 

楽器の音を聴きながら、その音程に合わせて声を出し続けるうちに、音程を合わせやすい声の出し方を発見した。鼻の奥に声を共鳴させるような感覚。

今までの鳩山メソッドは、とにかく声が響くことを最優先にしていた。楽に声が響くようになれば、余計な力みも取れて、自ずと音程もよくなる、という理屈だったのだが、実際はそうならなかったということは、机上の空論だったということだ。

 

今までは「響き」を最優先にして、俺が声を出すというより「響き」が声を出す、くらいのつもりで声を出し続けてきたが、これからは、音程を最優先にして、音程を主語にして声を出す方法を探していこうと思う。

やるべきことが見つかると、やる気が出てくる。これが楽しい。