言葉にしないと覚えられない

「アシュタンガヨガ」は、段取りがものすごく厳密に定められている。

先生に教えられたポーズを、呼吸に合わせて順番通りに続けていき、習熟が進むにつれて、新しいポーズが追加される。

教室で生徒はそれを、各々、自分のペースで練習するのだが、体の向きや腕の伸ばし方捻り方、足を置く位置、手の合わせ方、呼吸の順序回数、目線の位置や口の開け閉め、などなど、逐一、先生から細かい訂正が入る。

 

ずっと1人で、ある意味気ままにやってきただけに、その厳密さに、単純な体の疲れとは別の疲れが伴う。

しかし、ちょっと腕を上げる角度を訂正されただけで、今までなんとなくで軽くこなしていたポーズが、体の未知の部位を使った汗が噴き出るようなきキツいポーズに変化したりして、やはり教わってみるモノだなー、と実感する。

 

 

ダウンドッグの際の前腕の捻り方が、ずっと逆だった。前腕を内側に捻っていたのだが、外側にねじるように訂正が入った。

訂正は言葉ではなく、先生の手で直接、体に触れられることによって行われるのだが、これがなかなか覚えられなくて、毎日訂正されて、五日目くらいにやっと上記のような違いに気づいた。

言葉にしないと何かを覚えられない自分の性質を改めて痛感した。

 

顧みれば子供の頃からそうだった。長い間、右と左がわからなかった。ある日「お茶碗持つ方が左、箸を持つ方が右」と教えられて、やっと左右を自信をもって判断できるようになったことを、よーく覚えている。

 

今でも、配達先までのルートを調べる時、地図を見てる間はなんとなくわかった気になるのだが、いざ出発すると、全然覚えていない自分がいる。

なので「〇〇という信号を右折して、二つ交差点を越えた先の左手。3軒並んだ真ん中の家。」のように、言葉にして覚えることにしている。

 

そんな自分なので、言葉なし、体を通して直接教えられるアシュタンガヨガには、戸惑った。

練習中はメモも取れないので、先生からのアジャストが入ったら、自分の体に起きた変化を、なるべく早く頭の中で言語化する能力が、自分には必要なようだ。やるべきことがわかると、やる気が出る。