ロルフメソッド3回目セッションを終える

ロルフメソッドで徐々に体が整ってきたせいか、お金と時間を費やしたせいか、セッションを重ねるごとに自分の身体の不調を、クリアに、具体的に感じられるようになってきた。

 

3回目のセッションを終え、左の大腰筋が異様に凝り固まっていることが判明した。

自分の実感と解剖学的知識とを照らし合わせた仮説と、先生の触診を総合すると、どうも、そういうことらしい。

 

左のお腹の引っ張られ感、今までも不快感として実感はあったが、てっきり内臓の異常だと思っていた。

内臓のさらに奥にある大腰筋からくる不快感だったとは。ヨガなどをかじり、コアを使えているという自惚れもあっただけに、意外だった。

 

思い返すと、活元運動をすると決まって、寝転んで左半身を上下に痙攣させるような運動が頻出した。一生懸命、大腰筋を伸ばそうとしていたのだとしたらピッタリ辻褄が合う。「大腰筋が凝り固まってる」なんて当時全然知らなかったのに、体はちゃんと、その事を知っていた。体ってすごい。

 

 

大腰筋の他にも、肩甲骨や首周りも、異様に凝り固まっている事が発覚した。いつからこんなに硬くなっていたのか自覚がない。小学生の頃からそうだった気もする。当時から、キャッチボールでボールを投げる動作やクロールが、自覚があるくらい苦手だった。

 

硬い事が当たり前として生きてきたので、他人に指摘されるまで硬いことに気付けなかった。

先生に指で圧を加えられても、肉を押されている感覚が全然ない。硬すぎて、骨を押されてると思ったくらいだ。指が全く入っていかない自分の肉。まさに「かたくな」という言葉が相応しい。

 

自分の身体の状態が明らかになるにつれて、様々な心身の不調と辻褄が合い、答え合わせをしているような気分。そりゃこんな身体じゃ生きるの辛いわ、という納得と、こんな身体でよく生きてこれたなぁ、という労いの気持ちの両方が生まれてきた。

 

大腰筋は身体の一番奥にある一番大きい筋肉だ。それが左だけ固まっているということは、身体の土台から傾いているわけで、そりゃ何をするにもしんどい。

 

それに、固まった大腰筋が邪魔をして横隔膜が上がっていかないので、息が吐けない。

吸うは得意なんだけど、吐けない。体感3割吐いたところで息が止まってしまう。

生きることは呼吸をすることだ。その呼吸がし辛いということは、端的に、生き辛いということだ。

 

動きが制限された横隔膜、歌にもとんでもない悪影響を与えていることは簡単に想像できる。

どれくらい悪影響を与えているかは想像もできない。それだけに、想像もできないくらいの伸びしろを発見した喜びも同時にある。

 

 

子供の頃から今に至るまで、他人には簡単にできるようなことが自分には全然できないことが多く、辛い思いをしてきた。逆に他人には全然できないような事が簡単にできたりする。

自分の身体の状態を自覚するうちに、自分の身体のあり方自体がまさにそうだと気づいた。ある部分は何故か熟練のヨギーのように使う事ができるのに、他のある部分は、自覚できないくらいに、異様に固まっている。

 

生き辛さが心の問題だとしたら途方に暮れる。しかし身体の問題だとしたら、身体は物体だし、触れるし、変えられる希望を感じる。

 

響く声の出し方から、声が響く身体のあり方への追求へとシフトチェンジした鳩山メソッド。

続けるうちに、発声法を超えて、ちょっと大袈裟かもだけど、生き方そのものを変えるための営みになりつつある。