身体の欲求で行動している説

ロルフメソッドのセッションを重ねるにつれ、左の大腰筋が凝り固まっている事が判明した。

 

「大腰筋」とロルフメソッドの先生に指摘されてドキッとした。というのも、大腰筋こそ、発声を含む、身体を上手に使うための鍵になると目星をつけていた、ここ最近、1番関心のあった部位だったからだ。

使えるようになりたいとは思っていたが、凝り固まっているとは、思ってもいなかった。

 

 

最近参加した某武術のオンライン稽古会、その先生も、重要な部位として大腰筋を強調している。

 

稽古会参加を決めた時は、自分の左の大腰筋が固まっているなんて知らなかった。しかし今にして思えば、「大腰筋を解放したい」という無意識の欲求が、この稽古会を選ばせたのかもしれない。

武術なんて完全に素人の自分には、ずいぶん参加のハードルは高かった。それでも参加したというのは、それだけ欲求が強かったということか。

 

 

思い返せば、活元運動をすると決まって、寝転びながら左の腕と脚を上下に伸ばしてプルプル震えるような運動が出た。「何してるんだろうなー」とか思いつつ眺めていたが、固まった左の大腰筋を伸ばそうとしているとしたら、辻褄が合う。

 

 

自分が一番よくわかっているようで、全然わかっていないのが、自分についてだ。

頭で考えても自分のことなんて全然わからないけど、身体は、自分のことを、ちゃんとわかっているのかもしれない。そう思うようになった。

 

 

ひょっとすると、日々、なんとなく選んでいる行動も、根本には身体の欲求があるのかもしれない。

そう考えると、人間の見方が変わる。

 

例えば、毎日欠かさずボイトレに励む人がいるとする。

他人から見れば熱心な夢追い人で、ひょっとしたら自分でもそう思っているかもしれない。

しかしその情熱の根源は、固まった大腰筋によって動きが制限された横隔膜を動かしたい、という単なる生理的な欲求だったとしたらどうだろう。

頭では「夢の実現」とか思ってるかもしれないけど、その実、やっていることは、お腹にガスが溜まったから屁をひる、と、大して変わらないことになっちゃう。