活元運動をはじめた その二

果たして身体は動き出した。狂ったように畳の上をのたうちまわる自分と、それを見ている自分。この動きが意識なのか無意識なのかジャッジしだすと、自分のやってることに自信がなくなってくるが、どっちでもいいと開き直ると、子供みたいに畳の上で自由にジタバタしている行為自体を面白がれるようになる。今のは意識してやったな、と思う動きもあるが、普段絶対思いつかないような動き方や、脱力してる最中、不意に激しい衝動が湧き上がってきたりと、自分ではどうにもできないと感じる動きもいっぱい出てくる。
そしてどちらにしろ、得心いくまでやり続けると、いつかは動きがおさまるのが面白い。身体がこの落ち着くところに落ち着いた時の安らかさは、なかなかほかでは味わえない。 普段、「今自分は得心してるのか?」とか考えちゃうくらい分裂状態の毎日だけに、動きが出ない、という形で、身体を通して感じられる得心は、本当に楽ちんだ。そして毎回、この身体の中にこんな静かな場所があったのかと、新鮮なような懐かしいような、とても軽い気持になる。


既知しか知らない脳みそで未知の未来を想像する罠に気付いて以来、以前より将来の事を考えなくなった。
そのかわり、今の自分はどれくらい、以前の自分が想像出来なかった自分になれているか、という風に今の自分を顧みるようになった。

活元運動はまさに、次の瞬間、実際の行為として、さっきまでの自分には全く想像できなかった、未知の、新しい自分になれる方法だと思い至った。