「朝食は抜きなさい」「夜遅くには食事をするな」という健康知識に縛られていたことに気付いた

更新があいた間、ずっとご飯を食べていた。「つぶつぶ」にはまって、ここ3ヶ月ほど、つぶつぶの提唱する食のルールと料理術を続けている。なぜ続くかといえば、簡単さと美味しさが反比例しているからだ。自炊生活は長いが、最近やっと、自分を満足させる料理ができるようになってきた実感があって、楽しい。



つぶつぶの提唱するルールに則った食事をしていれば、食べたいものを、食べたい時に、食べたいだけ食べるだけで、心身ともに健康になり、太ってる人は痩せ、痩せすぎの人は太り、食べ過ぎの人は量が収まる説を、試している。

毎日、たっぷりのご飯に、塩味の効いた、油たっぷりのコクのあるおかず、そしてむせるくらい甘くて美味しい甘酒を、食べたいだけ食べてるという食生活。ガマンと罪悪感ゼロ。
菜種油は、毎日、文字通り、飲むように料理に使っている。塩は、いちばん美味しいと感じるまでかける。今までの自分から考えたらかなりの量で、実際、20年近く俺の食べる食事を作ってくれていた親が、引いていた。 それで体調が悪いかというと全然そんなことなくて、むしろスタミナは持続するし、食後もたれないし、身体も暖かい。今年の冬はモンベルのメリノウール靴下を買おうと思っていたのだが、その必要もなくなりそうだ。

油にしろ塩にしろ世間では完全に悪者にされているが、単に身体にいい油と悪い油、いい塩と悪い塩がある、というだけの話で、それを知ってるかどうかで、美味しい上に身体にいいものをたらふく食べて健康になるか、身体に悪いものを罪悪感を背負い込みつつ食べて不健康になるか分かれる。そう思うと、知ってる知らないの差は、天国と地獄だ。


さて、実際ガチで検証しようと、本気で、食べたい時に食べたいだけ、食べた。お腹いっぱい食べたと思っても「鳩ちゃん、ホントにそれだけで満足かい?」と自問自答して、一切の妥協を許さなかった。我ながら勇気があるナーと感心する。一度に4合くらいご飯を食べて、お腹いっぱいになって8時頃寝る、そんな生活、なかなか余人にできることではない。


奇跡が起こった。「食べたい時に食べたいだけ食べる」を実践するならば、夜中でも食べたくなったら食べる、を選ぶことになる。そんなことにしたらいよいよ大食いに拍車がかかるのでは、という恐れがあったのだが、いざ実践してみたら、その逆が起こった。食べたい時に食べる、という覚悟が決まった時はじめて、夕食の時間になっても、お腹がすいてなければ食べない、という選択ができるようになったのだ。

今食べなくても、お腹がすいたら22時でも23時でもその時食べればいいじゃん、っていうノリで夕食を遅らせる→そのうちどっちでもよくなる→そのまま寝ちゃう。そんな体験の末はじめて自分は「夜遅くに食べちゃいけない」「朝は食べないほうがいい」という健康知識に強烈に縛られていて、それが食べすぎる原因だったことに思い至った。

つまり「夜遅くに食べちゃいけない」「朝食べないほうがいい」→「だから食べられる時間は今しかない!今食べねば!」という理屈で大食いしていたのだ。

自由になって、はじめて強烈に縛られていたことに気づく。「夜中でも食べるぞ!」と覚悟した時には、ものすごく勇気がいったが、今となっては、何をそんなに恐れていたのか意味がわからない。

「食べてもいい」と覚悟が決まった時、「今は食べないでいいや」を選べるようになった。モノゴト、どっちでもよくなって、はじめてどっちでも選べるようになる。その典型例のような気づきだった。