部屋が寒い

活元運動中、おやっ、これは「おうちで踊ろう」ではないか?!と気付いた。

 

趣味が、基本的に部屋で一人でやることばかりだ。

 

10日間位は人としゃべらなくても平気だし(人によっては苦行らしい)、音楽活動も、主に自分に発声法を教えることにシフトしちゃったし、趣味方面は、あまり

外出自粛に影響を受けない生活を送れている。


そうなると家の居心地が大切になってくるが、今住んでいる家の寒さは想定外だった。


現住所は昔、お城に勤める下級武士の住宅街だったらしく、家が密集している。なので日陰だ。三面に窓があるが、ことごとく隣接の建物に日を遮られ、直射日光が差し込む時間は午後の数時間だけ。午前中は基本的に外の方が暖かい。住むまで気づかなかった。


ごろごろ専用部屋を作るべく2kの間取りのこの物件を選んだものの、床と隙間から伝わる寒気で、11月~4月一杯は満足にゴロゴロできなかった。ということは、丸々半年寒いということではないか。石油ストーブを導入しなかったのは失敗だったと今更ながら思う。

 


しかし逆に言えばこれからの季節に真価を発揮する物件と言える。

いよいよ部屋も暖かくなってきたので、思う存分ゴロゴロして、次の秋には日の当たる家に越したいナー

土踏まず記録一週間目

毎日、女鳥羽川で拾ってきた石で足裏をぐりぐりしている。

どうにも痛い場所がある。反射区を調べると「膀胱」とあった。子供の頃からおしっこのキレがよかった記憶がない。関係あるのかしら?


足つぼ理論によると、痛い場所をグリグリ揉み潰すと、対応する反射区がよくなるらしい。つまり痛いほど効く、ということになる。話としてはわかりやすい。


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先週

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先週


今週
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体の変化はナスやかぼちゃの成長と一緒で、じーっと眺めていても動いているようには見えないけど、ある日気づくと、明らかに変化している。


理屈で言っても、例え一週間で1ミリしか変化がなかったとしても、二ヶ月ちょいで1センチ。一年続ければ6センチ以上アーチができることになる。10年も続ければもはや、土踏まずしかなくなるだろう。

その日を夢見て土踏まず観察記録をとりつづけてみようとおもう。

女鳥羽川

女鳥羽川へ石を拾いに行った。
自然は通常営業で春だ。




タンポポムスカリ(←名前を教えてもらった)の花の鮮やかさが目に飛び込んでくるのは、目のメンテナンスのおかげだろうか?それとも松本の春の美しさ?


誰が作ったわけでもないのに、こんなにも美しい造形、鮮やかな色彩が、そこらへんの道端にありふれていることに、驚きすら感じる。



体(ひいては心)の状態がいいと、そこらへんに生えている草とか、雨上がりの空気感とか、別に買わなくても手に入る、ありふれているけど、ぼーっとしてると見過ごしがちな、そこにあるものたちに、いちいち新鮮な驚きと喜びを感じることができる。

逆にいうと、それを感じられるかどうかが、自分の状態を判断する基準にもなる。


松本へ引っ越してきたのは、そういう状態をキープするのに最適な環境だと感じたから、ということを思い出した。

ドレッドノート

「ギターなんてどれを弾いても同じ」という価値観で生きてきた。

しかし最近になって、ギターの違いに興味が向くようになり、折々、機会あるごとに、試奏をするようになった。


その結果、ざっくりいうと、古くて小さいギターが欲しくなった。

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新しいギターの音は、高級品でもイマイチ心に響かない。自分がギターの音色に求めている大事な要素が抜けている。


逆に安くても、ある種の古いギターには、琴線に触れる響きがある。


そこでいわゆる「ジャパンヴィンテージ」に目が向いた。


松本は昔から国産ギターの一大生産地なので、古道具屋さんに普通にジャパンヴィンテージがありふれている。試奏をすると、コストパフォーマンスの高さに驚く。


その後、日本の古いギターはヤフオクが最大市場と知り、チェックが日課になった。

毎日のように出品され続けているのだが、小さいギターとなると選択肢が一気に減る。何故日本の古いギターは、ドレッドノートばかりなのだろうか?


ドレッドノートを抱えると、左の図のような右肩だけ上がった格好になる。

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超偏見なのだが、かっこ悪い。

ドレッドノートはもともと軍艦から名前をとったくらいで、ギターとしてはやはり巨大過ぎると思う。

しかしドレッドノートが欲しい人にとっては、ジャパンヴィンテージ市場は宝の山だと思う。羨ましい。

声を出しすぎた

声がうまく出せなくなってしまった。
声帯が弦だとしたら、弦に折れ目がついてしまったような感覚。裏声がかすれる。


河原で無理な声を出しすぎた。屋根がないと響きをモニターできないので、外で声を出すのは難しい。

鳩山メソッド原則「頑張らない」を破ってしまった。状況に焦っている自分に気付く。



かれこれ一週間以上戻らない。毎朝、思いどおりに声が出せない現実を確認するのは辛い。

不快な感覚が消えるまで不要不急な発声は控えることにする。

清水の湧水

自転車で街にでかけて、帰り道によって湧き水を使い分けている。

あがたの森方面から帰宅する際使うのが清水の井戸。



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イオンモールのすぐ裏に、数百年前の空気をとどめたようなこんな場所が、普通に存在している。


松本の人は神社の中に住んでるようなものだと思う。

lightnin’hopkins

例えばギターはじめたての初心者は、まずは「弦を押さえる」という行為だけで精一杯だ。

そのうち押さえるべき弦を複数の指で同時に押さえられるようになると、その行為は「コードを押さえる」という名前に変わる。

それと同時に、ジャーンと弦を弾けるようになれば、その行為は「和音を鳴らす」という名前に変わる。

それと同時に、ジャーンをリズム良く鳴らせるようになるとその行為は「ギターを弾く」という名前に変わる。

それと同時に歌えるようになると「弾き語りする」と名前が変わる。



何が言いたいかというと

つまり「上達する」とは、「複数の作業を一つの作業として統合して行えるようになること」

と言えると思うのだ。


そして統合が進むほど、その行為は抽象度を高めていく。



例えばギタリストが3人いたとしても、3人が演奏と称して行なっている行為は、3人とも違う可能性がある。


1人はギターを弾いているけど、別の1人は音楽を奏でているかもしれない。そしてもう一人は、音楽すら超えた何かを表現しているかもしれない。



思い出すのがlightnin'hopkinsだ。


Lightnin' Hopkins - Hopkin's Sky Hop - (THE ORIGINAL RUDE MOOD)


楽譜にしてみたら、誰でも弾けるような簡単なことしかやっていない。しかし、多分誰もこの人と同じようにギターを弾いて歌うことはできないだろう。

この人は何をやっているのだろうか?
ただただ「lightnin'hopkins」をやっている、としか思えない。




youtubeは関連動画が出てくるから面白い。


STEVE RAY VAUGHAN - Rude Mood


12弦ギターをここまで弾きこなすとなると、指の力で弦を押さえているとは考えられない。その都度指が、力を入れなくても押さえられるポジションに来るように、左手を肩から動かしてポジション調整しているのが見える。



逆にこの動画を見るとそれがよくわかると思う。

Stevie Ray Vaughan Rude Mood Cover (Jack Gaughan)


ぎこちなく見える原因は、肩が固まって、指で弾こうとしてるところにある。